☆加藤のコラム『被災地からのレポート�C-1』

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2011年3月23日(火)

 きのうの夕方に岩手県から南下し、宮城県仙台市に到着しました。

  まずユーザーの皆さまにお伝えしなければならないのは、サーフショップを大津波で流されたにも関わらず、お会いした複数のオーナーから、『被災地以外のサーフィン関係者やサーファーには、ぜひいつも通りにサーフィンして、サーフィン業界を盛り上げて欲しい』という強いメッセージです。『他のエリアが元気にサーフィンして業界を盛り上げてくれるからこそ、被災した我々も前を向ける』と。

  到着が夕方にも関わらず、菖蒲田浜のマティーズサーフショップの星さんは、我々を貴重なガソリンを使って迎えに来て下さいました。

  ショップにいて被災されたそうですが、すぐにクラブ員関係者の外国人の方が「きっと狼狽(ろうばい)している」と直感して、ピックアップしながら自宅のある高台に避難して助かったそうです。ただし、残念ながらサーフショップは大津波に流され、街の沿岸部は壊滅状態だそうです。

  仙台市内にショップがある、ジャップスの熊谷さんご夫婦は、ご主人の透さんはNSAの会議で東京に向かうため仙台駅に着いた所で被災し、当初はこれほどの大震災とは思わなかったそうです。

  急いでタクシーに乗り、タクシー内にあった地デジテレビで、初めて大津波による甚大な被害を知ったそうです。素子さんはショップにいて、地震の激しい揺れで棚から激しく物が落ちたり、商品ケースが倒れたりする中で、倒れかけた数本のロングボードを必死で確保したそうです。

  幸い自宅は地盤が安定した場所だったため、軽い被害で済んだものの、地震直後から一週間以上も停電し、また今でも都市ガスの復旧のメドは立っていないため、食事に不自由し、お風呂も使えず、オール電化の友人の家の風呂を一昨日に被災後初めて入ったそうです。

  それでも、まだ我が家が津波で流された多くの人々に比べれば、自分たちのことなど言っていられないと涙ながらに話しておられました。

  なお、仙台新港を見ましたが、南側に位置するクイ前から南側が大津波で大きくえぐられて河口のような形状になっていましたが、サーファーが誰もいないポイントに、掘れた形の良い腹〜胸サイズの波がAフレームで至る所で割れていました。

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※写真は、仙台新港の「○」レベルの波

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※仙台新港ポイントのビーチに流れ着いたコンテナとファンウェイブ

  数年前に、仙台サーフィンユニオンの努力により、ポイント背後の小高い丘の上に県に建設して頂いたサーファー向けの駐車場とトイレは、奇跡的に無傷でした。また、近くで働く港湾関係者に話を聞いたら、被災時に丘の上に逃げた港湾労働者30人位は、ギリギリで大津波や工場火災から難を逃れたものの、車で街に向かって避難した人々は、渋滞に引っかかって亡くなった方がいらっしゃると涙ながらに語って頂きました。

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※仙台新港で奇跡的に無事だった駐車場

  不幸中の幸いなのは、当日は波が小さかったため、その時にサーファーがいなかったことです。

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