☆加藤のコラム「被災地からのレポート�D-2」

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  その後は一気に茨城県まで南下しました。
  常磐道のひたちなかインターで降り、河原子ポイントの目の前にあるサーフショップ、水木(みずき)サーフのボンジ君にお会いすることができました。   正直、ビーチフロントのショップなので、東北の大津波による甚大な被害から想像すると、ショップは厳しいかな? と思っていましたが、大津波の中心はギリギリ河原子の沖を通り抜けたのです。

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以前と変わらぬ河原子ポイントの様子

  ただし、すぐ南側に位置する美浜地区は、津波の被害が激しく、ビーチフロントの民宿は1階を中心に破壊されていました。

  次に、波伝説で阿字ヶ浦地区の波情報をお願いしている中崎さんにお会いできました。ショップは、国道沿いの高台にあり、被害はショップの中のサーフボードなどで、中崎さんも東北の流されたショップに比べれば問題ないとおっしゃっていました。今も上下水道は使えず、まだ生活はかなり不自由な様子でしたが、一番は早く原発問題が解決することだとおっしゃっていました。まったく同感です。

  最後に、大洗、大貫の波情報をお願いしている坂本清克さんにお会いしました。大貫の海に近い坂本さんのショップや自宅は、すぐそばまで津波が来たそうですが、ギリギリで届かなかったそうです。しかし、近くに住む弟さんの家は浸水してしまったため、坂本家に緊急避難して、家の中は人で一杯だそうです。

  港は、漁船や漁具などがたくさん流されてかなりの被害があり、その日も坂本さんは地域の人と一緒に漁港周辺の掃除をしていたそうです。ショップのホームページでも呼びかけるが、今後大貫などのポイントでサーフィンしてきたサーファーに、ぜひ地域の片付けや掃除への協力を呼びかけたいとおっしゃっていました。

  残念ながら、福島県烏崎と北泉の波情報を頂いているサンマリンの鈴木さんご一家は、現在は神奈川県川崎市の方に避難しているため、同行のH君に翌日に電車でごあいさつに行ってもらうことにしました。

  私は、湘南にそのまま直行して、JPSA、NSA、SFJ、日本波情報連絡会による、緊急招集された「東北関東大震災へのサーフィン界全体の対策会議」に出席する予定です。

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荒浜の堤防は一部が決壊していた

  リポートの最後に、かつて釜石にサーフトリップした時に友人宅に泊めて頂いた時に、友人のお母さんがおっしゃっていた言葉です。『釜石はなんにもないけど、人情だけは温かいから』。まさしくその通りで、岩手県〜茨城県まで(すみません茨城県南部と千葉北エリアには時間的に回れず、急きょ千葉の責任者を翌日に向かわせました。申し訳ありません)、行く先々で日本って本当にいいな、日本人て素晴らしいなと感動しました。

  改めて、東北を含む日本には、温かいコミュニティーがしっかりと残っていて、とても暮らしやすい、誇れる地域であること、そして、その温かいコミュニティーが必ず復興にもつながると確信しています。

  放射能や自治体の支援から取り残された病院に残り、不眠不休で頑張っていた院長以下の医師や看護士。寝たきりで意識もほとんどない入院患者のお年寄りにも、『○○のおばあちゃん、寒くない? 、大丈夫?』とまるで家族のように温かく接する姿にとても感動するとともに、相馬藩第34代藩主である神社の息子さん(我々は“わか”と呼ぶ)自らが、被災地支援の陣頭指揮を取っていました。また、町のほとんどを大津波に流されてしまった越前高田の避難所では、地元の高校生がほこりが舞う避難所入口の道路の交通整理に活躍していたし、プロパンガスが配備された避難所では、被災者のお母さん方(婦人会)が一生懸命に炊き出しに汗を流している光景を普通に見ました。また、どこでもお年寄りを大切にする地域住民に心から感激しました。CMで流す必要などありません。
  地域にコミュニティーが残っていることが、こんなにも素晴らしく、心強いことなのかを学ばさせて頂きました。

  頑張っている人々に『頑張ってください』と言うことは、さらに心理的に追い込んでしまうので禁句ですが、ぜひ被災地の皆様には、温かい日本人のみならず、世界の人々が応援・支援していることを忘れずに、正直何年かかるかは分かりませんが、あきらめずに前を向いて生き抜いて欲しいと思います。

  そして、海はつながり、サーファー同士も必ずつながっているはずだから、被災地のサーフィンが1日も早く復興することを、サーフレジェンド関係者一同、心からお祈りしています。いずれ東北関東の被災地の海と波の上で、再会を喜びましょう。

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写真上:
向かって左から、中越地震の時も行動してくれた最高最強のドライバー!? のアラタ君(ロングボードプロ)、私(☆加藤)、武市君(弊社のNo2のH)

写真下:
荒浜河口。右側のサンドバーでは形の良い波がブレイクしていた

おわり

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