宮城・仙台新港ポイントの波情報をいただいている、JAPSS SURFの熊谷素子プロよりレポートが届きました。
震災当日の様子や現在の復興の様子など、レポートが届き次第、順次掲載させていただきます。
東日本大震災から、四ヶ月半が経ちました。
毎日、蒸し暑い日が続いてますが……東日本大震災があった3月11日(金)はとても寒く、心底冷えた、一生忘れられない一日でした。
【3月11日(金)PM2:46】
地鳴りとともに、今まで感じたことない凄い揺れで……お店の事務所でパソコンをしていた私は、慌てて店舗側へ行き、必死にサーフボードを抑えました。
激しい縦揺れから大きな横揺れが長い時間続き、店内や事務所はグッチャグッチャ。抑えていたボードはスルスルと落ちていき足の踏み場がない状態になりました。
立ってられない程の激しい揺れで、壁に亀裂がピキピキ入り、ビルが倒壊するんじゃないかと思って本当に怖かった。
慌てて外へ出ようとするが、激しい余震が断続的に続き、物も散乱してることからちゃんと歩けず、愛犬と一緒に外へ出れたのはPM3:00過ぎ。
左右に大きく揺れ、壁が崩れていくお店のビルを見て愕然としました。
何も持たず飛び出してしまい、大きな余震の中、もう一度貴重品を取りに戻る事に……。
物が散乱してる真っ暗な店内から自分のバックを探し出す事は容易ではなく、やっとバックを見つけ、ひっくり返ったレジからお金を取り出すのは本当に大変でした。
震災後の店内
再度外に出た時にはPM3:30を回り、雪がチラチラ……。
店の前は、海からの方向から来る車で大渋滞していて、赤いヘリコプターが飛んできました。
「大津波警報が発令されました。まもなく第一波到達しますので、高いところに避難してください」
新港からお店までは7キロ程の距離。
「まさかここまで……」と思いながらも、お店のビルは2階建てだったので不安になって、大渋滞の中、少し高台にある自宅まで逃げる事にしました。
避難時の景色
まったく動かない車。「後ろから津波に飲まれたらどうしよう〜」と思っていると、チラチラ降っていた雪が猛吹雪に変わり、あたり一面真っ暗になりました。
携帯もつながらず、家族の安否が確認できない。
渋滞中、車のTVで見た第一波の大津波の映像は本当に信じられなかった。今起こっている事に言葉を失いました。

震災後の仙台新港
みんな大丈夫だろうか……。
なんでこんな事になってしまったんだろうと考えると悲しくなり涙が出てきて……自宅までの8キロの道のりを、まったく進まない道を、給油ランプの付く車の中でいろんな事を考えてしまいました。
二日前に福島県沖を震源とする震度4の地震で津波警報が出た事、もしかしてあれが、この大震災の予兆だったんじゃないだろうか……なぜもっと気をつけて暮さなかったんだ、と自分を責めて、後悔もしました。
やっと帰宅したころには真っ暗で、ライフラインが止まって家の中も真っ暗。
懐中電灯の灯りで散乱した物・割れた物を片付けて、ロウソクを探して、連絡の取れない家族を待つ事に……。
PM9:00過ぎ、全員無事に帰宅。 やっとホッとする事ができました。
ロウソクの灯りの中、唯一の情報源のラジオを聞いてると、聞こえてくるのは悲惨な情報ばかりで……。
あっちこっちでサイレンが鳴り響き、遠くの空はコンビナート火災で真っ赤に燃え上がっている状況。
この日の夜は、氷点下まで気温が下がり、本当に寒かった。
暖房器具が使えないので、毛布や布団に包まって暖を取り、両親・親戚・お店のクラブ員達の安否を祈りました。
どうかみんな無事でありますように……。
宮城県・仙台
JAPSS SURF 熊谷素子