岩手・浪板 杉本氏より「現地からのレポート3」

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 岩手・浪板ポイントの波情報をいただいている、K-SURFの杉本浩プロよりレポートが届きました。



 震災当日の様子や現在の復興の様子など、レポートが届き次第、順次掲載させていただきます。



 余震が続く中、川向こうの安全な場所に娘はいるものの、やはり顔を見ないと心配で、また娘も、私の安否を知らせるすべがなく、心配しているだろうと思い、会いに行く事に。



 まずは息子を避難所にいる知り合いにお願いして、私と妻でリュックサックを背負って津波の来なかった裏道を歩いて高台のお寺へ。

 高台からの景色は、今までの町の景色とは全く変わっていて、お寺の下まで瓦礫(がれき)の山になっていた。


乗り上げたタンカー
乗り上げたタンカー


 中学校の校長先生が、市役所方面に歩いて行った情報を聞き、市役所に行く事に。

 そのお寺の裏山を下って降りて、また次の高台にあるお寺に登り、そのお寺の裏山の急な坂道を下り市役所へ。



 市役所にも津波が押し寄せ1階はメチャクチャ。

 どこかのおじさんが「さっきこの瓦礫(がれき)の下から何人か遺体出て運ばれていった」と話していて、まだこの瓦礫(がれき)の下に沢山の人がいるんだろう……そう思うと、今まで体験したことのない現実に何とも言いようのない気持ちになっていた。



【写真1】


【写真2】


 市役所の2階に上がり、対策本部へ行き学校の情報など聞きたかったが、市役所の中もまともに機能できていない状況で、「釜石中学校の校長先生いませんか〜?」と大声で叫んでも、みんなそれどころではない……という感じで、私達は二人で校長先生を探して歩いた。

 でも、校長先生とは行き違いになってしまったようで、私達に気付いてくれた方が声をかけてくれ、中学校に娘に会いに行きたいと伝えると、「今中妻方面に行くバスが出るからついてきて」と言われ、今下ってきた山道をまた登り、お寺を越えてバスが出る所まで行った。



 丁度バスが出るところで、妻と二人でそのバスに乗り込みました。



 普段通っている国道は通れないため、昔使っていた旧国道(山道)を通って一山越え、瓦礫(がれき)を片付けた裏道を通って、津波の被害がなかった川向こうへいくルート。



 バスの中は、みんな無言。

 旧国道へ行くまでの道を通り、「ここまで津波が来たのか……」とか、あとはため息ばかり



 物資が届かない地区へ食材を届けるため、背中に沢山の荷物を背負って「山を越えて歩いて行く!」というおじさん達も乗っていて、この山を越えてあの荷物を持って歩いて行くのか……と思うと、それは本当に気が遠くなるような距離。

 田舎の山は高くて険しい。

 これも、きっと待っている家族や、知り合いの為に運んでいくんだ……そう思うと、決して若くない彼らの思いに、熱い気持ちがこみ上げてきた。



 狭い旧国道は、そこしか通れる道が無いため、救助に行く自衛隊の車や救急車、パトカーなどとすれ違い、ここで地震がまた来たらこの道も土砂崩れなどで封鎖されてしまうのではないかと思うと、早くこの道を抜けたい気持ちでいっぱいだった。



 旧国道を抜け川向こうの中妻に着くと、そこは今までと何も変化の無い釜石の町だった



岩手県・浪板

K-SURF 杉本浩

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