【第3弾】被災地からの絆レポート22 by Smily

 5月8日(日)、僕は大震災によって延期されていた「NSA(日本サーフィン連盟)」の総会に出席した。日頃より大変お世話になっており、大震災によって甚大な影響を受けられた連盟ジャッジ委員である仙台の重鎮「熊谷さん」さんや、仙台支部長の「越後将平プロ」、そして深刻な原発問題を抱える福島一区の支部長であり、ASP 2 STAR「Billabong Kitaizumi」のコンテストディレクターを勤めた「室原さん」などにお会いすることができ、ご無事な姿を拝見してご挨拶をすることができた。彼らから聞いた被災地における貴重な被災直後の状況・現況などは、当たり前のことだが本当に真実の言葉だった。



 NSA総会を終えた僕は、池袋にて千葉北スタッフ「OYZ」と待ち合わせ、二人夜行バスに乗って岩手県釜石市に向けて出発した。目的はみな同じ、「微力でも何かお手伝いすることができれば……」という思いだけだ。



 腰痛持ちの僕としては、正直言って10時間のバスドライブは辛かったが、先頭のシートから見えた早朝の「遠野市」の風景によって、腰痛と長旅の疲れなど一発でぶっ飛んでしまった! 緑に覆われた涼しげな山々、どこまでも澄んだフレッシュな空気、そっと包み込みたくなるような愛らしく・美しい桜並木の数々。それら遠野市の素晴らしい風景は、そう、僕の住む伊豆の天城山そっくりの素晴らしい風景だった。



 僕は、その美しい遠野の風景に、ただ観光に訪れただけのビジターのように感動していたが、次第に自衛隊車両の多さに気づいた。その後、国道沿いにある中学校の校舎に登校していく子どもたちの姿に目を向けると、普段は子どもたちが元気いっぱいに運動を楽しむはずの校舎の前グラウンドが、自衛隊車両・自衛テント・仮設トイレによって埋め尽くされていた……。それから数十分後、テレビや新聞で見た釜石市の海沿いの風景を目の当たりにした……。



 僕は、当初は釜石市において5日間のお手伝いをする予定だったが、都合により急遽1日だけお手伝いをして帰郷することになった。



 大津波が押し寄せた後、何とか倒壊を免れつつも、家屋の周りに残った多くの瓦礫の除去、大事に育てていた庭先の園芸、浸水した家屋内のお掃除など、たった1日だけだったが、いくつかの個人宅のお手伝いをさせていただいた。



 その中で、最後に海水に浸かった畳の除去・お掃除のお手伝いさせていただいた、70歳くらいのお爺ちゃんの目がとても印象的で忘れられなかった。地元ならではの言葉少ないお爺ちゃんだったが、帰り際、僕の目を正面からまっすぐ見て「ありがとうございました。」と言われたときのあの目は、僕はこの先一生忘れないと思う。



 お手伝いを終えて帰る前、「東北の湘南」とも言われる「浪板ポイント」に立ち寄った。いつかは絶対に訪れるはずのポイントだったが、こんな形でのファーストトリップになろうとは思いも寄らなかった……。しかし、浪板ポイントの素晴らしい海・ロケーションを見ていると、絶対にサーフボードとウェットを積んで来れる日が来るだろうと確信した。なぜならば、今この東北には、すさまじいパワーがみなぎっていることが実感できるからだ! 



 僕は、帰郷しても自分にできることをやり続けていこうと思う。いつか必ず来るであろう東北の最高の波に乗り、この休憩時にいただいた最高のわき水の天然水を、僕の大好きな焼酎にブレンドして乾杯するために。



 ※現地でのお手伝いを急ぐあまり、現場先へカメラを持って行くのを忘れてしまいました……。すみません……。



 By Smily

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