【第3弾】被災地からの絆レポート6 by 上條将美

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 こんばんは、上條 将美です。4月23日(土)、ボランティア活動3日目のレポートです。



 きょうは釜石での家の中からの瓦礫の撤去作業を行いました。釜石の商店街にある店舗兼住居でとても広く、洋服屋さんを営んでいたそうで、たくさんの洋服などの商品がダメになってしまっていました。



 このお宅も、もう住むことはできず、今はご兄弟の家に住んでいるそうです。ここも海から結構離れている所で、「まさかここまで津波がくるとは考えられなかった」と家の方が言っていました。



 今回の震災では地震の知識が多い東北の方でも、想定外のことだらけだったようで、「まさか……」という、いろいろな考えによっても被害が大きくなってしまったようです。



 地震が起きた日、私の住む湘南にも大津波警報が出ているにもかかわらず、かなりの方が家にそのまま残っていました。これもおそらく「まさか……」という考えで避難しなかったと思います。



 実際に津波の被害がほとんど無かったから良かったものの、地震の事だけに限らず、このことは大事な教訓だと思いました。


自分達も被災したにもかかわらず、無料で解放している皆のオアシス。本当にお世話になりました。
自分達も被災したにもかかわらず、無料で解放している皆のオアシス。本当にお世話になりました。




 また、被害に遭われた方の多くが、車で避難をしているうちに渋滞して被害に遭われたそうです。津波から逃げる際、車で遠くに行こうとせず徒歩で最寄りの高台に避難することが鉄則のようです。



 活動終了後、1時間ほどかけてほかの所の状況を見に行きました。釜石から大槌町、浪板、山田町などです。どこも海の近くは壊滅的で、海から平野が続いている所では、はるか先まで被害を受けていました。



 ある漁港では、5〜6mの防波壁が造られていたにもかかわらず、壊滅状態となっていて、今回の津波の大きさを改めてわからされました。


作業場にあった宙ぶらりんの車。被災地はまだまだ危険がいっぱい。ボランティア活動で一番大事なことはまず自分の身を守ること。
作業場にあった宙ぶらりんの車。被災地はまだまだ危険がいっぱい。ボランティア活動で一番大事なことはまず自分の身を守ること。



 私は岩手県に来るのが今回が初めてなんですが、リアス式海岸特有の複雑な地形をしていて、景色も素晴しく、良いサーフポイントもいっぱいあっただろうなと思いました。いつの日かまた、この素晴らしい景色の中で良い波でサーフィンできる日が来ることを私は信じて、またここにいつの日か戻ってくると心に誓いました。



 私は24日の夜に湘南へ戻るので、これが私の現地からの最終レポートとなります。おわりに、私のボランティア活動を支えて頂いた、釜石カリタス(日本語では愛という意味)教会の皆様、一緒にボランティア活動をした方たち、現地に来ることを応援してくれた(株)サーフレジェンドと私の家族、いろいろな物資を送ってくれた全国の方たち、波伝説を通じて支援していただいたユーザーの方たち、そして私を優しく受け入れてくれた被災地の方々にこの場を借りてお礼を言わせていただきます。



 皆様から受けた善意に比べると現地で私ができた事があまりにも小さく、あらためて自分の非力さを痛感せずにはいられませんが、これからも少しづつではありますが皆様の善意に対してお返しさせていただこうと思っています。



本当にありがとうございました。



上條 将美

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