☆加藤のコラム『被災地からのレポート�C-2』

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2011年3月23日(火)

 次に、仙台の南に位置する荒浜に向かいました。波伝説に情報を頂いているリアルサーフの残間さんにお会いしました。自宅は大丈夫だったものの、ショップを含む荒浜地域が大津波に飲まれて壊滅していました。

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※大津波の甚大な被害を受けた荒浜地区の道路脇で見つけた折れたロングボード

  荒浜河口やプール前を見ましたが、堤防は所々決壊し、海沿いはかなり破壊されていて、海を見るのにも大変でした。「若ければ頑張る元気と勇気も出てくるけれど、荒浜の街自体が甚大な被害を受けて、復興の見通しが立てれない現状では……」と、肩を落として語る残間さんに我々は励ます言葉を失ったほどです。お身体に気をつけて、前を向いて行きましょうと、声をかけるのが精一杯でした。

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※避難所指定の荒浜中学校にも大津波が襲いかかり、手前には漁船が打ちあがっていました。

  次に、行きに南相馬市の大町病院で一緒に入院患者の緊急搬送を手伝ったボランティアの友人らを励ますために、拠点となった福島県相馬市の中村神社に寄りました。たまたま支援物資を取りに来た『いいだて村』の神主さんと会い、残りの支援物資と来る時にドラッグストアの薬剤師と相談し準備した、10避難所分の医薬品の内の残っていた分をお渡しできました。

  そこで、ちょうど避難所での活動から帰ってきた仲間と再会し、お互いの無事を喜び、情報を交換しあいました。

  避難所では、大津波で家が流された人と家が残っている人の間でケンカがあり、仲裁に入ったそうです。小さな街の避難所は、普段からコミュニティーが強く、皆で助けあいながら強く前を向いて生きようと考える気持ちの人が大勢いるのに比べて、比較的大きな街では避難所は見ず知らずの集まりになり、次第に避難者のストレスが高まるにつれ、その運営は難しくなってくるものと思います。

  数十万人の避難者に、1日でも早く安心できる生活を支援するために、日本全国の協力が求められています。

  いま我々は、原発に近い福島県双葉町の山の中を通っています。ゴーストタウンと化した町は不気味であり、道路は亀裂が入り、我々はかなり危険な場所に迷い込んでしまったようです。もしかしたら、道路規制した警察官も、すでに避難したのかもしれません。

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※福島第一原発に近い福島県双葉町付近で、我々の帰路にあたる道路の橋が折れて落ちていました。(さすがにビビる我々)

  助手席のH君が道路のデカい亀裂を見ながら、「ここで大きな余震が来たら最悪!!」だと言ってますが、マジでかなりヤバいです。通行車両もほとんどありません。早くこの辺りを脱出したい!! いま放射能防護服を着た人が運転する車が猛スピードで走っていきました……。

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※福島原発近くの、ひび割れた道路の様子

  原発から数kmの所まで近づいてしまった我々でしたが、今ようやく何とか携帯も通じ、危険エリアから脱出ができた模様です。(涙)

  お騒がわせしました。この後は、茨城県の河原子ポイントに向かいます。では。

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