☆加藤のコラム『被災地からのレポート�B』

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  きのうの夕方に岩手県釜石市に入りました。東北自動車道の花巻インターで降り、釜石手前の東野あたりを見る限りでは、地震の影響はまったくなく、岩手県でも今回の被災が大津波によることを改めて分からされました。

  釜石市では、1200億円もの巨費を投じて、ギネスブックに登録された沖堤防が一昨年に完成して、市民でお祝いイベントを実施したばかりでしたが、残念ながら大津波は沖堤防を破壊しながら乗り越え、海沿いの街を完璧なまでに破壊し尽くしていました。本当に言葉が出なくなるほどの惨状です。港の中では、大きなタンカーが座礁し、すべての港湾施設、中心部の商店街、ビル、街並みはグチャグチャにされ、釜石駅周辺まで津波が押し寄せていました。

  釜石市在住で、『波伝説』にて浪板ポイントの波情報を提供して頂いているK-SURFの杉本浩プロにお会いすることができました。

  ご自宅は、津波が押し寄せた釜石市の海沿いの街から数百メートル山側にあって、10メートル位の高台であったためにギリギリ被災を免れました。しかし、残念ながら、浪板海岸の目の前のサーフショップは大津波に流されて壊滅してしまったそうです。

  一時は家族の安否が分からず、またご自身も浪板海岸のショップで被災して途方に暮れたそうです。その日は、近くの友人宅に泊めてもらい、翌朝に山側の道から数時間歩いて帰宅し、初めて家族と再会して無事を喜んだそうです。奥さまもお二人のお子様も、奇跡的に助かったそうです。

  ショップにいた杉本プロは、第一波は高台で何とかかわしたものの、第二波は高さが20m位(※)あり、ダッシュで背後から迫る大津波に追われながらも近くの山に駆け上がり、ギリギリのところで助かったそうです。

※高さ20mは、約7階建てのビルに匹敵します。

  一時は、ご夫婦で他県への移転を真剣に考えたそうですが、被害のなかった内陸部に住んでいるショップクラブ員らからの温かい支援や励ましに勇気づけられ、いまは『必ずショップを再建する』と決意されていました。我々もできる限りの支援と再会を約束して、釜石を離れました。

杉本プロ夫婦
杉本プロ夫婦



※写真中央は、被災されながらもショップの再建を表明された杉本プロ夫婦

  仙台に行く前に、宮城県本吉町の小泉ポイントに寄りましたが、ここも沿岸部は大津波にさらわれて壊滅状態でした。

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※宮城県本吉町『波伝説:小泉ポイント』付近の被災状況

  我々が動いた、岩手県〜宮城県〜福島県までの沿岸部は、どこも大津波にさらわれ、甚大な未曽有の被害を受けています。

  現地では、軽油を含むガソリンと灯油などの燃料が枯渇(こかつ)して手に入りませんが、生活物資は徐々に入荷しつつあります。釜石市内で一番救援物資が届いていないと聞いた、南部で海に面した唐丹(とうに)町の避難所では、我々が持ち込んだ、野菜、豚肉など100人分の豚汁の材料を冷えたクーラーボックスに入れて持ち込んだものや、カップ麺、カップスープ、ミネラルウォーター、トイレットペーパー、灯油など支援物資をお渡しすることができました。

  私たちの後には、京都から来られた民間組織の救援物資も届き、避難所の生活環境は著しく向上しているようでした。

  陸前高田市の校庭では、早くも仮設住宅が一気に建設されていました。きのうも波伝説ユーザーの皆さまにお願いしましたが、日本全国からの義援金が、いま一番必要とされています。救援物資は、ゴミになる可能性さえあります。ご協力をよろしくお願いします。

  最後に、被災者が喜び勇気づけられるのは、知人・友人からの温かい肉声による励ましです。携帯電話の通話エリアはかなり復旧してきました。今は通じなくても、毎日かけ続けていれば、必ず通じます。あきらめないで、ぜひ温かい励ましをよろしくお願いします。これから仙台菖蒲田浜に向かいます。

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