佐久間洋之介の願いを込めた「森下仁丹 葉山マリンフェスタ2013」9/1(日)開催

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 25歳の若さで亡くなったプロサーファー佐久間洋之介の「子どもたちに海の素晴らしさを知ってほしい!」という願いを込めたビッグイベント『森下仁丹 葉山マリンフェスタ2013(洋之介ファンフェスタ VOL.5)』が、今年第5回目として2013年9月1日(日)、葉山大浜海岸と隣接の葉山公園(神奈川県葉山市)にて開催される。

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 マリンスポーツ体験教室やワークショップなどさまざまな企画のほか、今回は特別企画として、50人乗りの巨大ビッグサーフボード体験イベントが実施される。

ビッグサーフボード[画像]
 全長8.2�u、幅2.4�u、重さ200kg、最大50人乗り。
 岩手県種市町立中野中学校(現在は洋野町立中野中学校)の3年B組の生徒たちの「クラス全員23人でサーフボードに乗りたい」という夢を叶えるために製作され、生徒たちが2005年に23人での波乗りを成功させました。
 2011年の大震災によって同中学校が被災。このビッグサーフボードは、東日本大震災の復興支援に役立てていくためにイベント展開されていきます。

【森下仁丹 葉山マリンフェスタ2013(洋之介ファンフェスタ VOL.5)】
開催日
2013年9月1日(日) 9:00〜16:00

会場
葉山大浜海岸&葉山公園
※参加費無料
(マリンスポーツ体験、ビッグサーフボードなどは有料)
※小雨決行、荒天中止

内容
サーフィンなど8種目のマリンスポーツ体験教室、葉山公園では地元有名店がずらり出店、湘南のアーティスト無料ライブ、レイ作り、親子写真撮影会、巨大ビッグサーフボード体験など盛りだくさん!

マリンスポーツ体験予約申込・問合せ
葉山マリンフェスタ実行委員会事務局
TEL/FAX : 046-807-4304
e-mail : yonosuke-fanfesta@jcom.home.ne.jp
http://members3.jcom.home.ne.jp/yonosuke-fanfesta/fan/fan.html
※リンクをクリックすると外部サイトに遷移します。

主催
葉山マリンフェスタ実行委員会

後援
葉山町、葉山町教育委員会、葉山町商工会、葉山町観光協会、逗子葉山青年会議所、神奈川県公園協会、かながわ海岸美化財団、テレビ神奈川、神奈川新聞社、FMヨコハマ、

協力
葉山警察署、葉山消防署、葉山町漁業協同組合、県立葉山公園海岸営業組合、日本製粉、海の学校プロジェクト、葉山ライフセービングクラブ

告知協力
湘南ビーチFM、J:COM湘南横須賀局、季刊バイザシー

特別協賛
森下仁丹株式会社

主催者について
葉山マリンフェスタ実行委員会
代表:佐久間泰介
※兄 洋之介の遺志を継ぎ、子どもたちに海の素晴らしさを伝え、生まれ育った葉山町のために本イベントを開催。
※当日は、毎年約130名以上のボランティアスタッフを募集し、運営協力いただいています。

企画・開催主旨〜ウォーターマン洋之介が目指していたことの実現へ向けて〜

1)海・山・川での体験、マリンスポーツ体験を通して、子どもたちに自然の素晴らしさを知ってもらい、子どもたちが潜在的に持っている可能性(人間力)を引き出すこと!

2)海の生態系、特に環境への理解と、その豊かさを次世代につなぎ還元していくこと!




佐久間洋之介について
 佐久間洋之介というサーファーがいた。
 2006年1月2日、葉山の海で逝った。(享年25歳)
 あまりにも若すぎる死を多くの仲間が悲しみに沈んだ。
 洋之介が日本のビッグウェイバーの一人として認められたのは、2001年ハワイのオアフ島のワイメアベイの巨大な波へのドロップだった。
 湘南・葉山から世界に飛び出した佐久間洋之介は日本を代表するビッグ・ウェーバーとなり、海外のサーフィン雑誌の表紙を飾るまでに成長した。

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 葉山の海で小さい頃から海の薫陶(くんとう)を受けた洋之介は、葉山の海から発信するカルチャーを牽引(けんいん)する一人としてよく知られた存在だった。
 サーフィンはもとより、素潜り、フィッシング、キャンプ、カヤック、ジェットスキー、アウトリガー、映像、写真、そして彼の興味はスターナビゲーションという伝統航海術にまで及んでいた。

 洋之介が海や自然に親しむきっかけは、一軒の葉山の海沿いに父が建てた小さな小屋だった。
 まだ歩くこともままならない頃から砂浜に転がされていた。
 山ではキャンプで「火の付け方」、「ナイフの使い方」、「飯ごうの炊き方」などを教わった。
 海では「素潜り」、「釣り」、「ジェットスキー」、「海の知識」、「天候の知識」などを教わり、後は自由に自然を堪能していた。

 14歳で本格的にサーフィンを覚えた洋之介は、すぐにプロを目指した。
 中学という義務教育もさぼりがちだったが、サーフィンに対しては常に真剣だった。
 なぜなら、海のリスクが解るから、「恐怖心」、「海の力強さ」、「波に乗る気持ち良さ」が融合するサーフィンにのめり込んでいった。

 海は洋之介にとって最良の教科書であり、学校だった。

生前、佐久間洋之介が口にしていたこと
・「海がすごい汚れている」「海の良さを次世代に伝えていきたい」「海の学校を作りたい」
・海外生活が長い中、様々な海を見て体験してきた彼は海で吸収してきたことを還元したいと考えていた。
・環境問題(ゴミ問題、無駄な消波ブロックの投入、生体系の変化)を訴えていきたかったのだと思う。
・「海の学校」とは海のことはもちろん、自然のことを子供たちに教えていきたいと思っていた。

 次世代に素晴らしい地球を残していきたい!と洋之介は思っていました。

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