宮城・仙台 熊谷氏より「現地からのレポート2」

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 宮城・仙台新港ポイントの波情報をいただいている、JAPSS SURFの熊谷素子プロよりレポートが届きました。



 震災当日の様子や現在の復興の様子など、レポートが届き次第、順次掲載させていただきます。





 8月6日(土)……震災後、初めて新港の駐車場へ入る事ができて、ビーチクリーンを行う事ができました。


新港ビーチ
新港ビーチ



 5ヶ月ぶりに見た新港ポイントは、ビーチがかなり浸食されて狭くなり、コンテナや瓦礫(がれき)でいっぱいでしたが、「もうビーチクリーンどころではないんじゃないか……」と思っていたので、この日、この駐車場へ上がれた事、海を見る事ができた事は、ここをこよなく愛す人達にとって、忘れられない一日になったと思います。



 久々に見た新港のブレイクは、ムネ〜カタ位のファンウェーブ。良い波が残ってて、本当に嬉しかった! 



 自分達ができる復興の一つとして、今後もビーチクリーンを続けて行けたら……と思います。



ビーチクリーン


 震災翌日(3月12日)ほとんど眠れず朝が来ました。



 電気・ガス・水道・携帯、すべてのライフラインが寸断され、情報源はラジオのみ。



 安否確認もできない中……限られた小学校へ、給水・食べ物を調達するために長蛇の列へ何時間も並んだり、ロウソクの灯りの中、皆の安否を祈る生活がしばらく続きました。



 最初に電気がきて、すぐにTVを見ましたが、あまりにも悲惨な現状を目の当たりにして、言葉を失いました。



 でも、やっと携帯がつながり始めたので、家族・友人・お店のクラブ員の安否確認ができ、皆無事だった事がわかり、まずは一安心。



 その一週間後に水道が通り、給水場へ通う生活からやっと脱出。都市ガスは配管が壊れたため、復旧までに1ヶ月程かかり、しばらくお風呂には入れません……



 やっとガソリンを20リットル給油する事ができたので、震災12日目にして気になっていた新港ポイントへ向かう事ができました。



 海の方へ近づくにつれ、道路は泥だらけで道路脇は瓦礫(がれき)だらけ。駐車場の2キロ手前から自衛隊・警察・消防の人が立っていて、進入禁止になっていました。



 「新港ポイントはどうなってしまったのか?」どうしても見たくて、色々とお願いし、なんとか通らせてもらいましたが津波の爪あとはひどく、道路脇の工場や民家はボロボロ。



 車などの瓦礫(がれき)も道路にゴロゴロしていて、2車線の道路は、やっと車が1台通れる状態でした。



 基礎から壊されている建物や穴だらけのビル、転がっている車には安否確認の「○、×」の印が付いていて、まるで地獄絵図。



 あまりにも残酷な惨状に、この2キロの直線道路を巨大津波から必死に逃げた人、逃げ遅れた人の事を考えると胸が痛くなり、涙がボロボロ出てきました。



 駐車場へ上がる手前からは、絶対進入禁止だったので駐車場へ上がって海を見る事はできませんでしたが、手前のガソリンスタンド跡地から河口側を見ると、蒲生日向が無くなり海とつながっていて、大きな湾になっていました。



 サイクリングロードは破壊され、海沿いにギッシリ生えていた松の木はスカスカ状態。



 想像を超えた悲惨な状況に、改めて巨大津波の恐ろしさを痛感させられ、がくぜんとしてこの日は家に戻りました。



新港・1


新港・2


新港・3


新港・4

宮城県・仙台

JAPSS SURF 熊谷素子

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