【第3弾】被災地からの絆レポート2 by S.K

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 4月19日(火)、昨夜に到着した僕ら3人(S.K、Curi、Chan-U)は、あいにくの雨のためガレキ撤去作業などはなく、炊き出しのお手伝いをすることになった。

 板前さんは明るく冗談を言いながら炊き出しの料理を作り、中学生の娘さんも手伝いながら、避難所になっている7階建てほどの下宿所の1階キッチンにて料理。僕らは、ちょっとしたお手伝い程度しかできないものの、おにぎりを握ったり野菜を切ったり等の作業。

 そして、午前10時と午後3時の2回、近くのお寺へ行って住職さんと一緒に御近所の被災者の方へ配給させて頂いた。きょうは午前がおにぎりとみそ汁を、午後はカレーだった。取りに来られる人は元気な人もいれば、そうでない人もいるが、少しでも喜んでいただければと願う次第だ。

 板前さんも、実は自分の経営していた居酒屋を津波で壊されていることを知ったが、「まだこの次に何するか考えている途中だけど、何とかなるって、どうにかやってくよ」と強い意志のあるお言葉で、まさに東北の方の強さを感じた。

 お寺も教会も関係なく、協調しながら地域の方々のために……。





 釜石の町は、映像で見た人が多いと思うが、商店街も住宅地もやや小高くなった駅の近くまで浸水し、建物が残っていたりするものの、ほぼ壊滅状態。

釜石市内
釜石市内


 駅の近くの橋にも、震災後には多くのご遺体や流された車両がたくさんあり、道もほとんど通れない状況だったようだが、今では道路は車両が通れるようになり、徐々に片付けも進んでいるとのこと。

 ただ、そうはいっても道の脇には今でも多くのガレキの山やひっくり返った車等が散乱し、津波の恐さを改めて思い知らされた。

 ボランティアで何ができるのか、たかだかまだ1日しか作業していない自分の言えることではないが、ここ釜石カトリック教会で活動をされて帰って行った方々の話を聞くと、色々な見解があるなかでも皆一様に「考えさせられる」とのこと。自分たちがやっていることはほんの少しだし、実際どれだけ力になれたのだろうかと疑問に思うとも。

 そして、今夜のミーティングで神戸から来られた精神科医の先生が言うにも、成果は最初に思い描いていたエネルギーの十分の一くらいしか出せないのが、多くのボランティアに参加された人の実感らしい。阪神大震災の時は日本で初めて本格的に始まったボランティア元年であり、今回の震災ではボランティアの受け入れ体制の問題等も多々あるが、公的機関とボランティアのもっとタイアップしたものを形成していく新しい課題も見つかったと……。

 復興に向けて、非常に時間がかかってしまうことは避けられないが、今ひとりひとりにできることを、継続して行うことの大切さを感じる。そして、復興後2〜3年先に、観光でもサーフィンでもいい、東北にトリップしてお金を使うことや、東北の物産を購入することが必要でしょう。

 ボランティアと言っても、被災された人々の心に寄り添うことは非常に難しいが、何かしようと思う気持ちがあれば、それが大きな力となっていくのであろう。

 「ボランティアは海の水をスプーンで拾うような作業」と言われて来たという大学生がいたが、それでもスプーンで拾い続けなければ復興しないと思ってここに来たという。

 ここには、日本人でも1カ月先に伸びた大学開始までの時間に来る方、社会人、多くの女性等々に限らず、アメリカ人、フランス人、ベトナム人など、国籍問わずに日本を愛する人たちが集まる。このような環境を作ってくれているサポートセンターや教会の方々がいて、まるでバックパッカーの生活のようにボランティアができる体制が整っていることに深く感謝。

 そして、送りこんでくれた会社、それを支えてくれている波伝説ユーザーの方々にも深く感謝します。多方面・多方向から色々な形で協力し続けていける輪ができていることに希望を抱きながら、共に乗り越えていきましょう!

S.K

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