『1.17と初夢 Vol.1』

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早いもので、あの“1.17”から15年が経過した阪神大震災ですが、弊社サーフレジェンドの礎を成した大切な日であり、家族と平和に暮らせて、不自由なくビジネスができてサーフィンライフを過ごせることに感謝する日でもあると私は考えています。

15年前の弊社は、音声テレフォンサービスのダイヤルQ2で、湘南の波情報を細々とレポートしていました。1995年1月17日当日は、千葉エリアを強化するために初の社員となる大卒見込みのS君と、早朝から外房へオフィスの物件探しに向かっていました。今でも良く覚えていますが、高速道路上で聞いたFM放送のニュースでは、『神戸で相当な地震が発生しましたが、不幸中の幸いにも死者は報告されていません……』と、第一報は楽観的でした。大震災であったためにライフラインや報道機関さえもが破壊されて、現地から正確な情報が届かなかったのです。

神戸市内の倒壊・焼失した建物
神戸市内の倒壊・焼失した建物
しかし、時間ごとに伝えられる甚大な被害状況と千人単位で増え続ける死者の数……千葉からの帰りの東京湾フェリーの中で、このまま湘南に居続けても良いものだろうか!? こういう非常時にこそ、身軽に動けるようにと自分は起業したのではなかったのか? と自問自答し、夜には同じライフセービング経験者のS君とともに、被災地へと車を走らせていました。

京都から先の高速道路は大渋滞で、一般道に降りてナビを駆使しながら西宮市に着いたのは夜でした。

『街はそれほど大きな被害はないのに、何かおかしいなぁ〜!?』2人の無言がしばらく続いた後に分かりました。道路に止まっているほとんどの車はエンジンがかかっていて、車の中には多くの住民が避難していたのです。夜遅くなので皆さん眠ろうと努力しているようでしたが、余震が怖くて家の中には居られない様子でした。良く見るとウィンドウが曇っていて、中に何人もの家族がいるのが確認できました。地元のKissFM放送では、家族や肉親の安否を問うアナウンスが延々と続き、その間にジョン・レノンの『イマジン』が被災者からのリクエストでかかっていたことをよく覚えています。つづく。


 

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