宮城・小泉 鈴木氏から「現地からのレポート2」

 小泉ポイントの波情報をいただいている、サーフショップ「かぶとむし」の鈴木さんよりレポートが届きました。



 震災当日の様子や現在の復興の様子など、レポートが届き次第、順次掲載させていただきます。


「小泉中学校避難所の日々」



 震災の翌日から始まった、次男の中学校体育館での避難生活。560名が、寝食をともにし隣りあわせですごす毎日。

 電気・水・ライフラインが止まった生活。

 いちばんこたえたのは、情報が得られないのと、情報を発信できないもどかしさ。



 すぐに、周囲の方々から食料がたくさん避難所に届けられ、献立に困るほどでした。

 おにぎりは近くの山小屋で薪で炊いた釜のご飯。

 ろうそくの光の中、熱々のご飯を次々とラップでくるみおにぎりを560個つくり、それが一日2回。



 まだ雪も降る時期で、寒い中での炊事は大変でした。

 男衆は朝、夜明け前からがれきを薪にしてお湯を沸かし。

 それぞれが役割分担し、協力し合いました。



 やはり、はじめのうちはばらばらだった意見も、本部組織が3日後にできてからはますます統一感が出ました。

 長男は青年団部長補佐(?)の役目を一生懸命こなし、次男は掃除当番。



 毎日、目の前のことに精一杯の毎日でした。



 そんな中、気がかりだった母の安否確認。

 一人暮らしで70歳を超える母は生きながらえたのかどうか……。



 意を決して、気仙沼市内の避難所と遺体安置所を迂回しながら回ることに。

 3つ目に訪れた避難所は気仙沼中学校。

 3年生の教室で母と対面したときはお互い夢のようでした。

 号泣しながら抱き合い、無事を喜びました。



 気仙沼公民館の屋上に2日間閉じこもり、津波や火事を目の当たりにしたとか。

 2日間ビスケット2枚ですごし、自衛隊のヘリにつられ中学校へ搬送。

 実は、自分はテレビでその様子は見ていたのですが、まさかその中に母がいたとは……驚きでした。

 自衛隊の方々にはあらためて感謝の気持ちでいっぱいです。



 小泉中学校避難所では、さすがに余震も多く、夜はなかなか寝付けませんでしたが、規律正しくみんなで頑張ろうという雰囲気でした。



 次第にサーファー仲間達が避難所を探して来てくれるようになり、みんなで自分達の安否確認をネットでしてくれたと聞きました。

 ガソリンも少なく、世の中の物資も少ない中。岩手や秋田から次々と訪れてきてくれて、ありがたかったです。



 自分ひとりでは何もできないけれど、秋田のサーファーが電波の届く場所に連れて行ってくれて、ノートパソコンを出して「ブログアップしてみんなに無事を知らせて」



 まだ、ブログアップする気持ちではなかったのですが……。



 「復活! します!! 必ず」



 自分に言い聞かせたのかも知れませんが、必ずみんなでまた海で笑いあいながら波乗りできるよう、その日から暗中模索が始まりました。



 つづく……



宮城県気仙沼市

かぶとむし 鈴木優美

最近の記事

関連する記事