岩手・浪板ポイントの波情報をいただいている、K-SURFの杉本浩プロよりレポートが届きました。
震災当日の様子や現在の復興の様子など、レポートが届き次第、順次掲載させていただきます。
ほぼ眠れない夜が明け、友人がいる所まで車で送ってもらったが、夏本トンネルを抜けた所で行き止まりでした。それ以上車では進めそうにないので、釜石まで歩くことにした。
道路にはものすごい量のガレキと、まだくすぶっている煙、そして泥の中をひたすら歩いた。
まだ津波警報が出ていたので、低い道を歩く時は海の方を見ながら急ぎ足。
ここ三陸海岸の道は、上り・下り・トンネルが連発する道が多く、家までの道のり15キロ……と言ってもかなり気が遠くなる距離に感じた。でも、歩くしかなかった……。
特にトンネルは停電で真っ暗。出口が見えず、とても不気味な感じだった。
トンネルをやっと抜けると、1つ目の町が消えていた。
きのうまであった町が、一瞬にして無くなっていた。
本当に夢を見ているようだった。
夢なら早く覚めてほしかった……。でも、これが現実だった。
歩きながら、いろいろな事を考えた。
「本当に家族が無事なのか? 仲間が無事なのか?」この悲惨な状況を見ると悪い方にしか考えられなかった。
とにかく早く家に戻って無事を確かめたかった。
しばらくとぼとぼ歩いてトンネルを抜けると、そこは年に数回良い波が立つポイント。
そこは大きな河口で、ファンなレフトの波が立つ。
普通だと目の前に6メートル位の堤防があるはずだが、ほとんどが津波でやられて道路から海が見えるようになっていた。それを見て、思いました……。
人間は今まで自然をコントロールしているかのように見えた。
例えば消波ブロック・堤防・砂防ダム等を作って自然に対抗してきたように思うが、やはり無理だった……勝てない。という事が、まざまざ目の前で見せ付けられた感じだった。本当にすごい。
またとぼとぼ歩いていると、国道が途中で無くなっていた。
運良く1週間前に新しいバイバスの道路ができていたので、その道を歩いていく事にした。
途中で近所の知り合いの消防士に会い、「家は大丈夫! 水は来てない!」と教えてもらい、ホッと胸をなでおろした。
本当に良かった。
バイパス道路を歩いていると、車が10台位夜から車中泊していたようだった。
釜石方面から何台か車が走ってきて、引き返す車をヒッチハイクしてみようと思った。
2つ目のトンネルを越えた所で車が来たので、思いっきり手を振ったら車が止まってくれ、丁度釜石まで行くというのでその車に乗せてもらった。
バイパスから釜石への国道は瓦礫の山で通行止めのため、旧国道を通り山を一越え。
その人も大槌の親戚を探しに行く所だったが、行き止まりで戻って来たところだった。
昔の大渡小学校(今の釜石小学校)の所でおろしてもらい、そこからまた釜石市内の瓦礫を歩いてやっと家族のもとへ辿り着いた。
車に乗せてくれた方、本当にありがとうございました感謝しています。
レポート2-3につづく……
岩手県・浪板
K-SURF 杉本浩